Wednesday, April 11, 2012

不器用なオノレ。




怒濤の渕に立たされたとして
例えそれが究極のエゴと錯覚だとも自負して
それでも何をしたいかって?
迷わず答えるものがあるのかって
それすら分からないのも事実かも知れないし
分かっていることをコトバにするのを拒んでいるのも小心者のすること
もしくは逆風に逆らうことに最高のエゴを抱いているのかも知れない

強く生きろだとか
こうでありたいとか
そんなこと人生のバイブルはもはやどうでもよいこと
ただ何をしたくて自分には何があってが明確ならば
きっと苦労はいらないんだろう

変わってしまった現実も
受け入れ難い悲しいことも
たまに入ってくるハッピーな知らせも
それらが同時に起こり得るという事実を受け止める視野と柔軟性なんていうものさえ十分に備えているならば
本来どこの世界にいたって受け止められるし、
それにもがいたりの回り道なんてものは到底しなくて済むだろう。


大袈裟な話、
たとえそれがレバノンの紛争地であっても、
ビジネスの中心が行き交うニューヨークはマンハッタンの大都会であっても
ホームレスの人が多く生活する東京の山谷地区であってもいいのかもしれないしさ。
つまりは目の前の状況を受け止めるだけの度量が十分にあって、
それに伴うこれだという絶対の個(意思)があるのなら、
場所世界なんてのは本来問わないはずなんだろう。


それが出来なかった、場所を限定せざるを得ず生き場を失うということは
もしかしたら
本質の問題からただ遠回りしていたのかもしれないってことで、ほらまた責めアゲイン。


そんなの分かりきったことで、
そんな感じで不器用なオノレはもがいているようにも伺える
全てがどうでも良いって思えるならどんなにラクかってさ?


でも果たして人間というものはそんな強いものなのでしょうか。

人生の道しるべのようなものは地図のどこを見たって書いてもいないわけで
本屋さんで「人生とは?」なんていう自己啓発本を読みあさったって答えは出ない
それでも前を見るしかないのも実際のところ
要は選んで進むしかないってこと
1と99の割合で直感と勇気でね。

それでも不器用なりに曲がりくねった道を
オノレなりに真っ直ぐ歩こうとはしているんだけれどな、、、




人生っていうものがこの世で人が生きる世界自体が大きな一つのゲーム感覚だとして
それを一概に楽観して捉えることが出来るのならば
どんなにラクかってさ
ゲームだとしたらこんな真面目腐ったような話は根本から本当にどうでもいいんだけどさ


本当にホントにどうでもいい
そんな恣意、チリやカスのように飛んでいって仕舞えば良い



Friday, April 6, 2012

Akira Kawada



魂持って頑張っているコは違う
それは音に現れ
目に現る

岐阜はAKIRAくん
良い意味で全ての期待を裏切ってくれた
ただただ、ありがとう。

love gifu all ♥